エディの話1~靴屋さん生まれのシェルティ

エディ1

動物好きなオトナコドモ

いきなりだが、私は一人っ子だ。

両親と祖父母と親戚の沢山の大人の中で育ち、子どもの頃は自分が子どもだとは思っていなかった。

小学校の友達は子どもっぽくて話も通じないし、大人ならわかってくれるデリケートな感情の機微がわからず、子ども特有の愚かで熱情的な空気を読んで集団で行動しなければならないのが苦痛だった。考えればわかることなのに、彼らは彼らの情熱で思い込んで浅はかに選択し行動する。その中で浮いていたしその一方へんに尊敬もされていた。ずっと他の子が○○ちゃんや呼び捨てで呼び合う中、私だけが「くみさん」とさん付けだったのが嬉しくもあり悲しくもあり…今思えばそう思うこと自体が子どもの証拠なんだが。

大人はそんな私の自尊心を挫いたりせず、よく話の分かるいいことして私の世界に土足では踏み込まず礼儀正しく接してくれるので、子どもの中にいるより大人の中に混ざっている方がずっと楽だった。

そんな一人っ子で大人子どもだった私だが、動物だけはずっと好きで小さな頃の写真は馬やうさぎや犬など動物と写っているものばかり。

動物たちは、いきなり私の世界に入ってきて粗野にそれを罵ることもしないし、私たちわかり合っているとよねという妙な連帯感を確かめ合う必要も無かった。子ども語はへたくそな私だったが、馬語や犬語には長けていると思っていた。

うちには、金魚にメダカにざりがに、セキセイインコやジュウシマツと沢山の小動物がいて、さらに犬が二頭いた。

一頭は裏庭で飼っていたクリ。茶色の大きな犬で……と思っていたが今考えると中型犬くらいかもしれない。誰かが置いていったのを引き取ったとやらで、昔のことだからいわゆる番犬だった。裏庭のあまり日の当たらないところに繋がれて飼われていた。でもこの子の記憶はあまりない。おそらく私がかなり小さかったときのことだ。

gina

もう一頭はアメリカン・コッカースパニエルのジーナ。私がまだ団地に住んでいた頃、外に繋がれて捨てられていたぼろ雑巾のような犬を母が拾ってきてハリウッドの美人女優の名前をつけた。団地に引っ越してきたから捨てたのか、団地から引っ越すことが決まったから捨てたのか。いずれにせよ、母はこの子を拾ってきてしばらく団地で一緒に暮らしていた。

もともと母は犬が好きで、子どもの頃から座敷犬と暮らしていたらしい。そう、「座敷犬」。昔は室内犬のことをこんな呼び方をしていた。犬は外で残飯で飼うものという風潮が変わりはじめた頃だ。

ジーナは拾われたときからすでにそれなりの老犬で、母はうちの中で飼いたがったが、その後一軒家に引っ越して一緒に暮らしはじめた舅と姑は、「犬は外で飼うものだ」といって譲らなかった。それゆえ、コッカースパニエルなのに、家の半地下にあるガレージで飼っていた。絹糸のような被毛は大して洗われもせず、夏には丸刈りにされた。いつも汚れたモップが落ちているかのように地面にべたっと寝ている姿を思い出す。
きっとうちの中で飼っていたらもっと違う犬生だったのかもしれない。元々が捨て犬だったから年は解らないが、確か最後は腎臓系の病気で旅だった。

運命の犬

エディ2

私の元に運命の犬エディが現れたのは小学校5年生の時だった。ジーナが旅だって、両親がやはり次の犬と暮らしたくなったのかもしれない。

最初のきっかけは忘れたが、地元の街の小さな靴屋さんの壁に「シェルティ譲ります」と張り紙があった。

下駄やサンダルが並ぶような個人経営の古くて小さな靴屋さんで、何故シェルティ?というのはわからなかったが、今で言えば素人ブリーダーのようなことをしていたんだろう。本名EDWARDでE胎だから、五回目の出産ということなのか。他にフランクフルトのような、やたら陽気で人好きな数匹のスタンダードダックスと母犬がいた。

最初に会った時、エディはすでに4ヶ月半を過ぎ、子犬らしいムクムクとしたかわいさは脱して、ひょろひょろしっぽにのびかけたマズルと手足をもった中途半端に若犬っぽくなりつつある子だった。靴屋の女将さんが「この子は兄弟達が次々ともらわれていく中、何度お客さんが来ても顔を背けて愛想もないので、あきらめて母犬と一緒に残そうかと思ってるんですよ」と言った。

だけどエディは最初から私と話が出来た。今でもそう信じてる。この子じゃなければダメと両親にねだり、靴屋の女将さんも「あらまぁ、はじめてでこんなに懐いている様子は初めて見ました」とお世辞半分にセールストークを言っていたが、その後のエディの様子からしてもあながち嘘ではなかったようにも思う。

私はそれまで貯めていたお年玉から半額の3万円5千円を両親に払い、エディは7万円と引き替えに我が家にやってきた。