花蓮から鯉魚潭へ
2018.8.4 11時頃
ガイドさんと落ち合った後は本日の予定へと入る
今日は夕方玉里からまた台鉄に乗って屏東へと移動になるので、花蓮市内をでて南の方へと観光をする予定。
看板の間でランチを食べる人。なかなか合理的。
でつきましたよ。鯉魚潭。
鯉魚潭(りぎょたん、リーユイタン)は、台湾東部最大の淡水湖で、花蓮県寿豊郷に位置する。隣接する山が鯉の形に似ていることから、山と湖に鯉の名前が付けられた。面積は約104ヘクタールで湖水は地底からも湧き出ており、年中澄んでいる。また風光明媚な景色が広がっており、多くの観光客が訪れ、台湾東部では太魯閣渓谷に次ぐ観光地となっている。
by wikipedia
ということだけど…

んーーなんていうか、河口湖?というか104ヘクタールは1.04キロ平方メートルだから富士五湖でいえば西湖の半分くらい精進湖より少し大きいくらいか。これで台湾東部最大なんだから、台湾は意外と湖多くないってことね。
湖面には色とりどりの様々なボートが浮かび、乗ってみませんかと言われたので何十年かぶりにボートにのる。体力自慢がいたんだし足漕ぎにすればよかったが、暑いしハードですよと言われたので電動。
ぬるい。まあぬるいけど、たまにはいいか。
一時間を過ごしてまた車上の人となり、今度はお昼ごはん。
花蓮鳳林~おしゃれで美味しい青輕慢食
オーナーの女性は日本料理店で修業したことがあるそうで、丁寧におしゃれに作られたランチプレートはボリューム満点でとっても美味しい。
焼きサバ定食?サバは揚げてあるのかも。とってもうまい
包子の間に角煮をはさんで食べる。
大満足な顔。味はとっても美味しかったが、ここも出てくるまでにすごく時間がかかる。花蓮時間てことかなー。
鯖は花蓮港に上がってくるらしい。昨日見た七星潭の沖はすぐドロップダウンになっていて、岸から遠く離れなくても大型の魚が良く獲れる、恵まれた漁場だ。
お昼を食べたらまた車で移動。
鳳林旧林田村
1914年(大正3年)の日本統治時代、花蓮に「南岡」と「中野(林田)」、「北林」の3つの集落を統括した林田移民村が作られました。当時この村では至る所にタバコ畑とタバコ農家がありました。
by 台北ナビ
日本統治時代に主に九州や四国などから大規模な移民団が、夢の楽土を求め台湾に移住した。その彼らが住んでいた林田村址を訪ねた。
- 林田神社跡
- 林田派出所跡
- 校長先生の官舎
- 元林田尋常小学校 現大栄国民小学校
私としては正直、ここのところにもう少しボリュームを置きたかった。
50年の統治時代、ここに住んでいた人たちが何を考え、現地でどう暮らしていたのか。50年と簡単に言うけれど、普通の人なら人生の大部分だ。若くして夢とともに海を渡り老境を迎えてから行き場のない元祖国に帰らざるを得なかった人、帰れなかった人、帰らなかった人。そして50年の間に台湾で生まれた子供たち=湾生たちの思い。そんなものを現地で感じて見たかったが、今回は時間の都合もあり、車上から写真を撮る程度にとどまった。
それでもここのこの地の暑い空気を吸ってみて、なにかを感じたような気もする。この時代のことは、大学時代に少し齧った程度でほとんど知らないに等しい。もっともっと知らなければいけないと思うし、日本とアジア諸国の関係について子供たちにももっと理解を深めてほしいと思った。
葱抓餅
次に付いたのが鳳林で一番美味しいという葱抓餅屋さん。といっても屋台風だ。
お店では家族総出で働いている。おばあちゃんの横には孫もいる。
原味というのはオリジナルのことでプレーン。それ以外に卵入りやチーズ入りなどがある。
台湾の屋台には葱抓餅と葱油餅というのがあるが、油餅のほうは揚げてあるものが多いとか。「抓」は中国語でつかむ、ひっかく等の意味があるので、多分サクサクにするためのテクニック部分を刺しているのだろう。あざやかな手つきをご覧ください。
うまいですか?
確かにクレープのようなパイのような不思議な食感。残念ながら昼ご飯からすぐだったので、満腹で熱々ははいらず、あとから冷えたのを食べたがそれも美味しかった。けど、作りたてのほうが外はサクサク中はもっちりが味わえるかも。
ちなみにクックパッドに再現している人が何人かいた。これが近いかなと思ったのでご紹介。作ってみるかなぁ?
北回帰線標誌公園
さらに車を走らせて北回帰線が通る場所へ
北回帰線は、地球の北緯23.5度に位置する線ですが、通過している国は、台湾、中国、ミャンマー、インド、バングラデシュ、オマーン、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、リビア、マリ、モーリタニア、アルジェリア、西サハラ、パナマ、メキシコの16か国。台湾では、東部海岸、花蓮、阿里山、シラヤ、嘉義、澎湖などの6か所の国立公園を貫いています。北側は亜熱帯で、南側は熱帯。夏至に太陽の真下になります。その日太陽が真上に来る正午に線上に立つと、自分の影がなくなっています。
台湾では、嘉義県水上郷と花蓮県瑞穗郷、豊濱郷靜浦村の3カ所に標塔が設けられ、中でも瑞穗郷にある北回帰線標塔は日本統治時代の1933年に設立。世界で2番目に古い回帰線標です。by台北ナビ
ということだけど、台北ナビにも書いてあるとおり、お茶畑のまんなかにこの大きなモニュメントが建っていて、中国人観光客を乗せたバスが結構来ていた。が、私的にはわりとふーんという感じで、それは残念ながらうちの子たちも同様だったらしく…はい。地理オタクはいないのかね
そしてうちの母は押し花の材料になるような木のほうが興味があるらしい。
台鉄玉里駅
二日間に亘ってお世話になったガイドさんと別れ、16:35発屏東行きの火車に乗るため玉里駅へ
玉里はお米の名産地らしく駅内はそのポスターがいっぱい貼ってあった。
これが駅前の様子。日本のローカル線の駅みたい。
駅舎の柱には客家花布が巻き付けてあって可愛らしい。
客家花布(はっかはなぬの)は台湾花布とも呼ばれ台湾の伝統的な布として知られています。
客家(はっか)とは中国大陸を発祥とし、戦乱を避けるために移住を繰り返した民族で自らの国や土地を持たないことからその名が付けられたと言われています。
客家人は節約の民族でいろいろな布を組み合わせて服を作ったりする中で中国や日本の布から影響を受け色染めの技術を発達させて花布が出来たそうです
というわけでとても鮮やかで可愛らしい。客家人は東洋のユダヤ人とも言われ、ユダヤ人同様言語と文化によって定義される民族らしい。元は流浪の民であった客家人は流通や商業で力を得、高い教育水準を武器に東南アジアの政財界に大きな影響力をもつ人も多いそうだ。
台鉄内の車内販売のお姉さん。
車窓からのヒトコマ
屏東駅は大きかった
19:26屏東着。玉里から約3時間の快適な列車旅。
旅行プラン作成中、急遽原住民が多く住むという三地門に行きたくなり、三地門行きのバスが出ている屏東に一泊することにした。翌朝早朝にはバスに乗りたいので、朝はチェックアウトしてから駅に行き、荷物を預けてからバスに乗ることになる。そのため、屏東駅周辺の漢字が知りたくて、Googleストリートマップでいろいろみてみたが、予想以上に大きな街でびっくりした。
昼間食べ続けていたので、夜は軽いものにしようといっていたのに、息子の要望で通りすがりのケンタッキーフライドチキンに入ることに。
ところがオーダーでもめる人々。ちなみにケンタッキーは中国語だと「肯塔基」ケンタージーという感じの音訳。お姉さんは辛抱強くニコニコと聞いている。ここもスマイル0元ね
しばらく歩いてやっと富光商旅到着。疲れてる人々。
ホテルは新しくはないが広さはあり必要十分。今までがビジネスホテルのようなのが続いたので、少し振るいながらもここが一番ホテルらしいかも。
肯塔基の中味。なんかクリスピーとピラフとハーブチキンみたいなもの?
こっちは普通のチキンXLパックだったか。
これにて台北→花蓮とすすみとうとう台湾の南側に入ってきた。明日は早いからね。早く寝よう。
201808台湾環島旅行 | 公開日 |
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