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EDDY

エディの話2~Eddy my love so sweet

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小さなエディ

子犬の頃のエディはそれは可愛かったが、世界中の子犬がそうであるように小悪魔だった。

ダイニングテーブルの脚とチェアの脚はすべて囓られて丸く歯形がつき、ピンポンがなると中国雑伎団のバイクの曲芸のように応接セットのソファの背中を踏み台に宙を飛んで走り回る。(雑伎団のバイクの曲芸しってますか?こんなの) 掃除機を掛けようとしたらヘッドに向かってワンワン吠えたあげくにホースと闘いはじめてしまったため、途中で放り出す母の姿が、あの頃買ったばかりのビデオカメラで撮ったテープに残っている。ある日ソファをどけたら、後ろの壁紙が大きく三角に剥がれていた。暇にあかせて端から三角にひっぱって剥がしていたらしい。

でもエディは可愛かった。犬をうちの中で飼うなんてもってのほか!と言っていたおじいちゃんとおばあちゃんをあっさり懐柔しメロメロにした。私の運動会にエディも共に家族で見に来ているビデオも残っている。小学校の校庭に普通に入ってたなんておおらかな時代だった。

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それでも私ははじめての「自分の犬」にあれこれしつけをしようと頑張った。「シェットランドシープドッグの本」を買って端から端まで一生懸命読んだ。シェットランド島がどこにあるのか調べ、マズルとストップについて考察し、ブリードのなんたるかを知り、スタンダードとエディを見比べて一喜一憂した。その頃の私は勉強好きだったのだ。エディはスタンダードよりは少し大きめサイズだったが、その可愛さが損なわれるわけではない、ドッグショーに出すわけじゃないしと自分を慰めてみたりした。

その頃にはめずらしく室内トイレも作った。(ただしペットシーツなるものはまだなく、古新聞だったので大変!)でもなんといっても5年生だし、今ほど情報があるわけではない時代のこと。今考えれば足りないことばかりだったと思う。

今ほどノーリードについてもうるさくなかった時代。両親と高尾山に登り、エディは先を行く私と後をついてくる両親の間を行ったり来たりしながら一緒に山登りをしたり、冬は別荘地の小さなスキー場で一緒にリフトに乗って上がり、下りは人間はスキー・エディは走って降りたりもした。犬連れのいける施設は多くなかったが、いきつけのお店では足下にいさせてもらったり、どこにいくのも一緒だった。

小さな頃は犬の群れの中で暮らしていたが、うちに来てからはもっぱら私と一緒。よその犬と触れあうこともあまりなかったので、エディは犬が苦手な犬になった。未去勢だったこともあるのか狂犬病予防接種会場に連れて行くと面倒なことになったため、いつも往診に来てくれる赤ヒゲのような獣医さんのところで接種はしてもらっていた。

人に対してはフレンドリーだが、シープドッグは比較的主人をはっきり選ぶ。エディもとにかく私が一番。ご飯係や散歩係は別にいても好きなのは私。

私にとってはエディ特別な存在で、ただの犬ではなかった。ケージの中で寝かせる筈も、気がついたら一緒に寝ていた。悲しいことも嬉しいことも全部エディに話をした。学校では頑張っていたがもともと内弁慶で本が友達の私は帰ってくれば一人だった。フワフワの身体を抱きしめていれば、広い一人の部屋でも何も怖いものはなくなる気がした。一人っ子の私にとって、エディは兄弟であり、友であり、恋人のような気持を共有できるはじめての存在だった。

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エディの話1~靴屋さん生まれのシェルティ

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動物好きなオトナコドモ

いきなりだが、私は一人っ子だ。

両親と祖父母と親戚の沢山の大人の中で育ち、子どもの頃は自分が子どもだとは思っていなかった。

小学校の友達は子どもっぽくて話も通じないし、大人ならわかってくれるデリケートな感情の機微がわからず、子ども特有の愚かで熱情的な空気を読んで集団で行動しなければならないのが苦痛だった。考えればわかることなのに、彼らは彼らの情熱で思い込んで浅はかに選択し行動する。その中で浮いていたしその一方へんに尊敬もされていた。ずっと他の子が○○ちゃんや呼び捨てで呼び合う中、私だけが「くみさん」とさん付けだったのが嬉しくもあり悲しくもあり…今思えばそう思うこと自体が子どもの証拠なんだが。

大人はそんな私の自尊心を挫いたりせず、よく話の分かるいいことして私の世界に土足では踏み込まず礼儀正しく接してくれるので、子どもの中にいるより大人の中に混ざっている方がずっと楽だった。

そんな一人っ子で大人子どもだった私だが、動物だけはずっと好きで小さな頃の写真は馬やうさぎや犬など動物と写っているものばかり。

動物たちは、いきなり私の世界に入ってきて粗野にそれを罵ることもしないし、私たちわかり合っているとよねという妙な連帯感を確かめ合う必要も無かった。子ども語はへたくそな私だったが、馬語や犬語には長けていると思っていた。

 

うちには、金魚にメダカにざりがに、セキセイインコやジュウシマツと沢山の小動物がいて、さらに犬が二頭いた。

一頭は裏庭で飼っていたクリ。茶色の大きな犬で……と思っていたが今考えると中型犬くらいかもしれない。誰かが置いていったのを引き取ったとやらで、昔のことだからいわゆる番犬だった。裏庭のあまり日の当たらないところに繋がれて飼われていた。でもこの子の記憶はあまりない。おそらく私がかなり小さかったときのことだ。

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もう一頭はアメリカン・コッカースパニエルのジーナ。私がまだ団地に住んでいた頃、外に繋がれて捨てられていたぼろ雑巾のような犬を母が拾ってきてハリウッドの美人女優の名前をつけた。団地に引っ越してきたから捨てたのか、団地から引っ越すことが決まったから捨てたのか。いずれにせよ、母はこの子を拾ってきてしばらく団地で一緒に暮らしていた。

もともと母は犬が好きで、子どもの頃から座敷犬と暮らしていたらしい。そう、「座敷犬」。昔は室内犬のことをこんな呼び方をしていた。犬は外で残飯で飼うものという風潮が変わりはじめた頃だ。

ジーナは拾われたときからすでにそれなりの老犬で、母はうちの中で飼いたがったが、その後一軒家に引っ越して一緒に暮らしはじめた舅と姑は、「犬は外で飼うものだ」といって譲らなかった。それゆえ、コッカースパニエルなのに、家の半地下にあるガレージで飼っていた。絹糸のような被毛は大して洗われもせず、夏には丸刈りにされた。いつも汚れたモップが落ちているかのように地面にべたっと寝ている姿を思い出す。
きっとうちの中で飼っていたらもっと違う犬生だったのかもしれない。元々が捨て犬だったから年は解らないが、確か最後は腎臓系の病気で旅だった。

運命の犬

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私の元に運命の犬エディが現れたのは小学校5年生の時だった。ジーナが旅だって、両親がやはり次の犬と暮らしたくなったのかもしれない。

最初のきっかけは忘れたが、地元の街の小さな靴屋さんの壁に「シェルティ譲ります」と張り紙があった。

下駄やサンダルが並ぶような個人経営の古くて小さな靴屋さんで、何故シェルティ?というのはわからなかったが、今で言えば素人ブリーダーのようなことをしていたんだろう。本名EDWARDでE胎だから、五回目の出産ということなのか。他にフランクフルトのような、やたら陽気で人好きな数匹のスタンダードダックスと母犬がいた。

最初に会った時、エディはすでに4ヶ月半を過ぎ、子犬らしいムクムクとしたかわいさは脱して、ひょろひょろしっぽにのびかけたマズルと手足をもった中途半端に若犬っぽくなりつつある子だった。靴屋の女将さんが「この子は兄弟達が次々ともらわれていく中、何度お客さんが来ても顔を背けて愛想もないので、あきらめて母犬と一緒に残そうかと思ってるんですよ」と言った。

だけどエディは最初から私と話が出来た。今でもそう信じてる。この子じゃなければダメと両親にねだり、靴屋の女将さんも「あらまぁ、はじめてでこんなに懐いている様子は初めて見ました」とお世辞半分にセールストークを言っていたが、その後のエディの様子からしてもあながち嘘ではなかったようにも思う。

私はそれまで貯めていたお年玉から半額の3万円5千円を両親に払い、エディは7万円と引き替えに我が家にやってきた。