
久しぶりの投稿がこんな内容になるとは思っていませんでした。
3/4に倒れ死の淵まで行き、そこから奇跡の復活を遂げたジャスティの記録は、いつかわかりませんがまた整理がついたらつづっていきたいと思います。Instagramには投稿が載っています。
が、今の気持ちを書いておきたくて投稿します。
今朝はゆっくり寝ようと思っていたのに、やっぱりジャスティが気になって割と早くに目覚めてしまいました。様子を見に行かなくちゃと思って飛び起きてから、ああ、もう急ぐ必要はないんだと思うと、ぽっかりと穴があいた気持ちでぼんやりと午前中を過ごしました。
昨日、家族で深大寺動物霊園からジャスティを旅立たせました。車の中では彼がどんなにいい子で素晴らしくて、生き様までもハンサムだったかをみんなで話しながら、家族ででかけた日々を振り返りました。霊園について皆さんからいただいた花とうちから持っていったイワシと砂肝とゆで卵のご飯、リンゴとイチゴとバナナにまやちゃんからもらったマグロと馬肉のおやつを持たせ、キャンプのコットの上によく敷いていたお気に入りのビーチタオルとマッキーとお揃いのJustyと名前の入った服を添えて、時間が来るまで撫で続けました。

多分彼の魂はもうそこにはいなくて、そこにいるのは彼の抜け殻だったのかもしれないけれど、そのつやつやしたこの世で一番さわり心地のいいビロードのような耳、大きくて男らしくて爪まで美しい手、自由自在にコンコンと音を立てて話をする、ムチのようにしなる長いしっぽ、大きく張り出した胸ときゅっとしまったお腹、少しウェーブした荒い背中のコート、黒く大きくて絶妙な弾力でたまらない香ばしさの肉球、少し痩せて骨の形がわかるそれでも黒光りしている顔、そのすべてを失うことがさみしくてさみしくて、時がとまったらいいと何度も思いました。

でも長い睫毛に縁取られた、すべてを見抜くような透明な水晶のひとみはもうすでに失われていて私の顔を映すことはない。おやつの袋の音を聞いて飛び起きることも、名前を呼ぶとうれしくなって、なぜかまたくぐりしながら足を踏みしめることもない。それなら美しい姿のまま旅立たせてあげるのが、私たちが彼にできる最後の仕事だと飲み込んで時を待ちました。最後のとびらが閉まるとき、また会おうね!待っててね!またね!と叫んだ声は聞こえたでしょうか?
控え室では誰もが悲しみにとらわれることはなく、今までの思い出話と彼がどんなに始末良く潔かったかを家族で笑って称えあいました。一昨年は息子が留学、去年は娘が留学、そして私の母の闘病があり、ジャスティにさける人手と時間的と精神的な余裕はありませんでした。しかし彼が倒れた今年の三月は、娘も息子も揃っていて、春休みで家族がついていることの出来る時間が一番多いタイミングでした。

ジャスティが旅立ちを決めた日、いただいた薬がちょうど終わり、最後のパッドの買い置きが切れたところでした。窓の外の桜が咲き始め、家族全員が揃うことが出来る日曜日の午後、ジャスティは私の腕の中で家族に囲まれて、撫でられながら最後にふっと息を吐いて静かに旅立ちました。ちょうど往診に来てくれる予定だった先生に看取ってもらい、すべてを片付けて去っていきました。なんて、出来すぎな息子なの!世界中にうちの子かどんなにかっこ良くてハンサムだったかを叫びたい。あなたの代わりなんてどこにもいない。I really proud of you .
時間がきて、丁寧な係の人が呼びに来てくれて、彼の美しい骨と会いました。大きな体はそのまま大きく、骨はほとんど砕けることもなく白く長く美しい。丁寧に丁寧に説明して並べてくれる手や足はどこからみてもジャスティそのまま。大きくて長い頭には立派なトンガリがあり、歯も爪もジャスティそのまま。長い長いしっぽはオブジェのように美しく、そのまま飾りたいぐらいでした。最初の一つ二つは箸で、それから手でもいいと言われたので骨の感触を確かめながら、霊園で一番大きな骨つぼになんとか収めました。桐の箱に入り娘の胸に抱かれてもやはり大きて重いジャスティ。係の人にめったに見ないくらい丈夫で立派な骨はごはんの成果だと言ってもらえて、私は間違っていなかったんだと気持ちが楽になりました。

葬儀の間中落ち着かないマッキーは、再度骨になったジャスティがいる部屋に入った瞬間パニックになりかけ、最初は台に近づくこともできませんでした。ずっとずっと兄ちゃん大好きだったマッキー、立てなくなったジャスティの横にもわかっているのかいないのか、踏まないようによけて歩き寄り添って寝ていました。ジャスティの車いすでのお散歩で一番うれしそうだったのはマッキーです。ジャスティと並んで歩くこと、一緒に水を飲むことが、うれしくてうれしくて仕方ないと全身で叫んでいました。亡骸になったジャスティと過ごす一日も今までとそんなに変わらずにいましたが、焼かれて骨になったお兄ちゃんは明らかに何かが変わり、不安でたまらなくなったのかもしれません。
おひさまみたいなマッキー。あなたを抱きしめることで私はこの日々を乗り越えてくることができました。ジャスティがいなくてもすべてを失うわけじゃないと勇気づけてくれたのはマッキーの柔らかさと暖かさでした。まだまだ元気でそのままでいてくれなきゃイヤだよ。
実は3/25は長男の26才の誕生日でした。ジャスティと良く似た優しくて礼儀正しい長男は、ジャスティのことを半身と呼んでいて、ジャスティの亡くなった3/24は本当は息子の誕生祝いをするために家族全員が都合を空けていた日でした。そして息子の誕生日の前の日がジャスティの命日になりました。

霊園を出て本当はジャスティも連れて行きたいと思っていた犬を同伴できるチーズフォンデュのお店へと向かいました。骨になった美しいジャスティを見て、なんだかやり遂げた気持ちになり、晴れ晴れとしていて家族はみんな笑顔でした。息子の誕生日と母の快癒をマッキーと写真のジャスティと一緒に祝いました。ジャスティもきっと一緒につまみ食いしてたよね?
うちに帰り、がらんとしたソファと持ち主のいなくなった何度かしか使っていない車いすを見て、本当にいなくなっちゃったんだなと心の穴に改めて気がつきました。どうするの?これ。君のサイズだから他の子には大きすぎるんじゃない?もっと使えばよかったのに。借りたマットもハーネスも返すのはいつでもいいよと言ってくれたのに、ちょっとしか使ってないじゃない。
もうご飯を作る音を聞きつけておすわりして待ち続ける、黒光りしたきれいで優しくて食いしん坊な息子の姿を見ることはないのかと思うと、たまらないさみしさに襲われて崩れそうになります。わんきゃんにいってもいないのか。どこにいるの?夢に出てきてくれる?会いたいなぁ。もう会いたいよ。I miss you, my boy.
ジャスティがいなくなっても世界には色があり、音もあり、お腹がすいて、私たちには明日の暮らしがある。それがなんだか不思議で仕方ないけれど、めそめそするのはジャスティは嫌いなはず。いつもの困った顔をしてそっと離れたところから様子が変わるのを待ち続けていて、笑顔になるまで近くに来てももらえない。もっとあの時ああすれば、こうしていたほうがという想いは尽きないけれど、それはどれも詮無きこと。家族全員に囲まれて最後の瞬間までハンサムに生きていたジャスティの想いはきっと違うと信じて、ジャスティの欠片を連れてもっともっと出かけよう。マッキーと一緒に海も山もキャンプも。そしたらきっと魂も来てくれるよね?
そしていつか私が空に行ったら、一目散にかけてきてくれるかしら。野生の馬のような素晴らしいスピードで、黒く光るしなやかな体でとまっすぐな瞳で、おかあさーん、待ってたよーと。キュンキュン鳴きながら痛いしっぽでバシバシ叩かれる日を夢見て、私は家族とマッキーと笑顔で毎日を過ごしていきます。
まってて!絶対会いにいくから。神様とか天国とかわかんないけど、絶対絶対探し出すから。大好き!!ジャスティ!愛してる!!!
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