201808台湾環島旅行1 旅の計画

留学中の娘を訪ね、台湾旅行に行ってきた。

旅行計画

娘の台湾留学出発が2月。

それからすぐに「ママ、私がいる間に遊びに来るでしょ」と言われ、計画し始めたのが4月。

格安旅行なので自力でLCCを取り、AgodaExpediaBooking.comを駆使して格安宿を探す日々。

今回、長男は去年行ったからいかないといい、夫は秋に義父母をつれていくことになったので、私と母と次男の三人+娘の四人旅行になった。旅費節約のため、宿はクィーンサイズのベッド×2台の四人部屋を取り、移動は基本台湾鉄道で。基本的にガイドは頼まない方向だが、交通の便が良くないという花蓮のみ、旧日本統治時代に詳しい日本人ガイドさんにお願いすることにした。

台北は学生時代から何度か行っているが、台湾のその他の地方にはあまり行ったことがない。花蓮は昔行ったはずだがどんなだったか全く記憶が無く…。

どうせいくならぐるっと一周してみたいし、それならフォトジェニックとウワサの台南にも行きたい。あれも食べたいし、これも食べたいし…などと気になる情報を集め、数冊の本を買い、ネットの波をわたって、あれこれあれこれいながら、数ヶ月かかって出来上がった予定表がこちら。(というか実際に行った記録)

旅程表

旅のテーマ

台湾といえば、美味しいご飯と郷愁的な景色はもちろん外せないが、今回の旅の目的は三つ

  • 娘の通っている大学と住んでいる街を見てみたい
  • 日本統治時代の歴史に触れたい
  • 台湾少数民族「原住民」文化を知りたい

娘の住む街

輔仁大学内にて

去年次男がオーストラリアに留学していたときにも、彼の通っていたCairnsの街と学校を見に行った。(そういえば旅行記まだ途中です…そのうち書きます)

息子の吸っている空気を吸い食べているものを食べてみて、なんか腑に落ちたので、娘の生活も見てみたかった。

留学を決めるとき、私は北京に留学していたので、大陸もすすめたが、娘は結局台北を選んだ。留学後時々Lineで聞いたり、送ってきたりする写真から満喫しているのは分かっていたが、彼女の案内で歩くのが楽しみだった。

日本統治時代の台湾

台湾は現在親日で知られているが、1895年に清から割譲され1945年のポツダム宣言を受諾し中華民国に接収されるまでの約50年間日本によって統治され、そこには正の歴史と負の歴史が存在する。これについては私も大学時代にちらっと囓った程度だが、現在の台湾にはその当時の文化的遺産や建物が多くそのままの形で残っている。

台南 日本統治時代に作られた林百貨。現在はメイドイン台湾商品を売っている

それは日本人のノスタルジーを呼び起こし、一方で台湾人の柔らかなしたたかさを感じる。そんな時代の残り香を見てみるのも今回のテーマの一つだった。

松園別館の日本式家屋。かつては特攻隊に天皇からの「御前酒」を賜る場所として使われていた

原住民文化を知ること

台湾には17世紀に漢民族が移住してくる以前から住んでいる先住民族がいる。艶やかな文様の衣類を身につけ、芸能や工芸、身体能力に優れた彼らは、現在政府から16部族が認められ、約55万人で人口の約2%をしめる。主としてマレー・ポリネシア語族に属する彼らの容貌は浅黒い肌に目鼻立ちのはっきりした美人、美男系で、漢民族とはあきらかに違う。またそれぞれの部族が独特な文化を持ち独自の風習があるが、現在は混血も増え台湾芸能界にも数多くの有名人を輩出しているそうだ。

トンボ玉作りをおしえてくれたパイワン族のお姉さん

単純に美男美女に会ってみたかったのもあるし、私はもともと世界の先住民とあとから来た侵略者がどうやって混ざっていったのか、いまどうなっているのかにとても興味があり、また彼らの素朴で美しい音楽や文様に深く心を揺さぶられる。

そこで今回は概要を知るために原住民テーマパークを入れ、その近くのパイワン族の皆さんが住むという三地門にいくために、当初予定の無かった屏東で一泊することにした。

せっかく台湾にいくなら台北だけではなく、かつて行ったことのある花蓮、そして古都でノスタルジックな台南に行ってみようと思った旅だが、それなら足を伸ばして屏東に立ち寄ることにしたが、頑張って行けて良かったと思う。

70代の母を含む4人の珍道中としては、なかなかハードでタイトなスケジュールだったが娘の案内もあってとても実り多い旅になった。次回からはその様子をゆっくり紹介していきたい。